白い消しゴムから精巧に切り出されたヒトガタは、生き物のようにふるまう。
1967年ぼくはその白い消しゴムから生まれ、ちょうど新しくなったばかりのマイハマ北口から電車にのる。
東京でおりて、日比谷公園に行く途中、弟ではないかと存在を疑っていた兄が死んでいた。
殺したのはフォーク。やはり白い消しゴムから生まれたヒトガタだ。
フォークは、自分のうでを相手の体に差し込んで殺す。フォークの概要。
・カフェラテを好む
・誰でも殺す
・奥さんはぽっちゃり型。
ぼくはフォークになぜ兄を殺したかをきいた。
「頼まれたからだ。」
「誰に?」
「さいとうだよ。斎藤陽子。」
斎藤陽子は先月営業事務をやめて、ネットでデカアメ屋を開業していた。
ぼくは斎藤陽子を訪ねた。兄が死んだことを伝えると「そう」とだけ言った。
その夜、ぼくはデカアメ屋ですごした。その次の日も泊まった。
帰宅。驚いたことに兄が生きていた。からだに穴があいている。
ぼくが玄関を開けると、兄はふろからあがったばかりでくつろいでいた。しかもフォークの奥さんと二人で。
フォークに殺されたはずの兄は実は生きていたこと。
ぼくが兄を探して斎藤陽子の家に滞在している間、兄はフォークの奥さんとぼくの家に入り込み、しかもいっしょにお風呂に入っていたこと。
ぼくの家のお風呂に二人は無断ではいったのだ。ぼくは混乱した。背もたれのない長イスに座って考えを整理しようとした。
兄とフォークの奥さんも座ってきた。三人とも口をきかずに座った。
二人から牛乳石鹸のにおいがした。ありえない。ぼくの家のお風呂は無添加のミヨシの石鹸だ。ふたりは勝手に石鹸を持ち込んで入浴したのである。
ふたりを残して、ぼくはぼくの家を出た。1万歩歩いて斎藤陽子に会いに行く。
もらっていた合鍵でデカアメ屋に入ると、フォークは斎藤陽子を殺していた。
そして、ぼくの方に近づいてくる。
ぼくは逃げた。ぼくの家も通り過ぎた。富士山をこえ、沼津にきた。そのまま(32才〜47才まで)そこでくらした。
11月のある日、それまで音信不通だった兄が急に訪ねてきた。一人で沼津まで来た。そして実は兄ではなく弟であることを告白した。
「ごめんな、にいちゃんはほんとはにいちゃんじゃなくて弟なんや」
兄がそう判断した理由をぼくは知りたかったが、それには兄は答えなかった。
「とにかくにいちゃんは、もうお前のにいちゃんやない。弟や。弟としてここ沼津で暮らすんや。」
ぼくは告白した弟の背後にまわり、まだ空いていたからだの穴にそっと手をいれた。
フォークがあけた穴。いやなあたたかさの風が僕のうでをなぞった。